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Can't take my Eyes off …Who?

There's nothing else to compare

シブヤから遠く離れて

シブヤから遠く離れて
2016/12/10 18:30~ Bunkamuraシアターコクーン
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/16_shibuya.html

初演厨ってほどでもないけど、うまく明日を迎えられない人の戯れ言。
ツイッターに書こうと思ったけどさすがに長くなりすぎたのでこっち!思いつくままに書きすぎてるんで後で後悔しそうだけど知らんわもう12月忙しすぎるから残したいと思った気持ちは浮かんだそばから記録しないと消化さえできない。


12年前、中学の同級生と待ち合わせて当日券並んで2階の下手の一番後ろの補助席当ててふたりで見て、なんか全然わかんなかったけど、わかんなかったけどすごい衝撃を受けたっつーか、あっこれはすごいやつだ、って思って、たぶんある意味あそこから私の人生が少し狂ったようなところはあるのよ…たぶんあれ見てなかったら私今頃自分の大学の法学部か、四谷の新聞学科あたり行ってたんじゃねーかなと思うもんw
わかんなかったっていうのはほんとに笑っちゃうくらいなんにもわかってなくて、例えばマリーが「囲われてる」っていうのとかも聞き逃してたのか理解してなかったのかいっこも意味わかってなかったし、フクダさんが邪推しまくってる含みとか、たぶんほっとんど拾えてなかったんだけど、わかんないなりににじみ出て伝わってくる何かの感情がものすごくインパクトあったんだよね。それは画も含めて。
黒いひまわりの間でガシッ、ガシッ、って蹴る動作をしてたフナキと、飛んでいったウェルテル、おしろいを塗るふたり…あたりが一番印象強いかなぁ
そう、黒いひまわり。わざと客席からステージへの視線を遮るように配置されてたあのひまわりが私の記憶の中のあの世界の象徴というか。なんかこう…死んでいく場所、みたいな印象として強烈でさぁ。この手のお芝居をちゃんと見たのが実際あれがはじめてだったから、なんかすごいんだなって思ってたけど、色々見た今、改めて考えてもあの演出というか美術ちょっとおかしかったよね。おかしくてすごかった。岩松さんもコメントしてたけど。強烈。
だから今回会場入った瞬間に見えたセットがもう全然違って、全然生きてる家で、そりゃ違うのはわかってたけど、こう、こうなるの!?…って思ってたら始まったらまたちゃんと変わったけどw ちゃんと死んでいく家になってたけど、でもなんか、それは12年前の印象と比べると、遥かに秩序のある死に方な気がして
あとそもそもススキだからねw戯曲にもススキって書いてあるからね!どっちで来るんだろうって思ってたけど、やっぱひまわりは蜷川さんの裁量で蜷川さんのものなんだろうな


私は中途半端にまじめなおたくなので、観劇前にいっぺん戯曲読み直してたんだよ。今までも何度か読み返してはいるんだけど。でまぁやっぱめちゃくちゃ記憶力が良かった頃に見た作品だから、読むと当時の役者の画とか声とか言い回しが結構脳内再生されちゃうからさぁ…もはやどこまでが正確な記憶かわかんないけど、特に二宮なんかはあの人の持つ声のパターンのサンプルストックもめっちゃ多いから私が勝手に創出してる部分もあるかもしれないけど、なんかでも覚えてんだよね、杉本哲太とか勝村政信とか勝地涼とか蒼井優とか。
うっかりその記憶が蘇った状態で見ちゃってたもんだからどうしても集中できないところも出てきてしまって、ちょっと失敗したかなぁと思った面もあったんだけど
そんな中唯一同じキャストなのが小泉今日子だけど…なんだろうなぁ彼女の加齢と、セットや演出の違いでやっぱ全然印象が違うわ。
マリーって役自体は30歳だろうが50歳だろうがあんま変わらんっていうのもわかる、実際今回も痛々しいとかは全然ないしむしろしっくりきてる。ただもしかしたらしっくりきすぎてるのかもしれない
家の美術がきちんとしていて、荒れ方にもどこか演劇めいた秩序があって、そこにいるマリーがものすごく女主人だったんだよね。あぁここの主人なんだ、みたいな感じだった。
なんか初演の時はもっとこう、この部屋を守れるのは私だけ、とか言いながらも、完全には馴染めてない感じがあった気がするんだよなぁ。気を抜いたら崩れて風に流れていきそうな感じが。あのマリーの不安定さと、二宮のナオヤのずっと手先が震えていそうな不安感が不意に一致する、みたいな趣があったのかなって。初演は。
今回虹郎くんはナオヤとしてどうとかの前に、例えば「負けたきらいがある」みたいな、絶対普段使わないよな~って感じの言い回しとか、「ちがったらちがったでよかったってことさ」の「さ」みたいな、演劇っぽいセリフ回しの部分とかがまぁ~ヘタクソでw 舞台2度目なんだっけ?前のがどういう性質のやつだったのか知らないけど、芝居がかった部分がちょっと乖離してる感じで、まぁやりづらいのかもなーと。このへんは回数重ねると変わるとこでもあるだろうから後半どうなるか気になるけど。
あとなんだっけ、「鉢山町をぬけ、桜ヶ丘の坂をかけおりて」のところとかも、微妙に実感が伴わない。実際に走っているイメージが湧かない、身体的実感がイマイチない感じだったりとか。これはわざとなのかもしれないけど…そこを推し量るのは難しいな。
一番リアリティあったというかしっくりきたのはトシミと一緒のシーンなんだよな全体的に。なんかすごい年下のませた女子をウザがってるリアリティがあったよ対トシミのナオヤ…またトシミの南乃さんがはらつとしてませた女子高生感あったからな…白ソックス似合いすぎ
まぁそこのリアリティはおいとくと、虹郎のナオヤは全体的に強烈な印象や違和感があるような役でも演じ方でもないんだけど、アオヤギやフナキやフクダのあの演劇的に成熟した安定感のある大人の芝居にも、マリーの身体的に成熟した女主人的な佇まいにも、どこにも寄らない、誰にも近くない場所で生きてる感じの芝居で、それが実はナオヤとしては妙な説得力になっている感じで面白かったし、どこにも寄れない感じもあって…まぁ、あとは見た目がめっちゃかわいかったねw
そうそう、もちろんケンイチともしっくり来てないからなぁ。あれは勝大くんも含めてどこまで意図的にやってんのかわかんないけど、同じ記憶に基づく話をしてるのに常に微妙な位相のズレみたいな違和感があってネタバレ知ってる側としてはあぁ~そうだよなぁ~って納得していた。
あとそもそも前回杉本哲太勝村政信だったところが橋本じゅん豊原功補って、見るからにカタギじゃない感が最初からほとばしりまくっていてなんかこう…こう…w いいんだけど!!てかよく考えたらアオヤギとフナキがなんなのかも別に書かれてはないしね。会社の同僚って言ってるけどそれ普通の会社なんだろうか…みたいなのはあるよな実際。
いや私初演でフナキの長台詞のとこがすごい強烈だったのって、わりと普通の見た目で役者のイメージ的にも少しヘタレっぽいイメージもあって、かつ比較的常識人的な振る舞いの多いフナキが突然見せる狂気だったからってのもあったから、たぶん。
豊原さんだと、コワモテとみせかけていい人…とみせかけてやっぱこわい!!ってならない?w そりゃ単なるコワモテではないのですけどもちろん。あとやっぱひまわり…
演出としての細かい違いはあとあれか、ウェルテルって白くなかった?今回あれオカメインコだよねぇきっと?ロビーに動物の取り扱い許可証みたいなのが置いてあって、こういうのがいるんだー!って初めて知ったw


あとほんとに12年前の私なんもわかってなかったよな!と思ったのは終わってBunkamura出たらさ~、目の前円山町だよねあそこ。そういう土地勘もまったくなかったし円山町がどういう場所なのかなんか知るわけないよね。学生の頃の巣は主に池袋だったからw 松濤に住んでる同級生はいたはずだけど家に遊びに行くほど仲良くもなかったし。円山町、南平台…センター街はさすがに知ってはいたけど。
そういえばマルキュー地下のソニープラザって今もある?あったとしてもソニープラザじゃないよねもう?看護婦も今じゃ看護師だし、思ってた以上にマジで以前の戯曲そのまんま、微修正すらしないまま出してる感じは意外だった。
そう考えるとっつーかそれを敢えて今やる意味…?とか考えはじめたくなるんだけど、なんかでも、うーん…あんまりそういうこと考えるのもなぁというか。戯曲のあとがきで岩松さんが言ってる「解釈し、解釈され、“終わり”がくることへの失望」にかつて共鳴していた自分から大分離れたとこに来ちゃったかもしれないと思わされるからあんま考えたくはないw 解釈とか抜きの、ほぼほぼ純然たる衝撃だけで突っ走った12年前の自分を忘れたくないっていうか。
ただ今は今で、別のベクトルから「解釈しない」って方向に振れてる面もあるんで、ある意味一周してんのかもしれないけどね。でも解釈するの楽しいからやめられないんだよなぁw まぁどちらが正解って話でもないので。